TKMA’s diary

手遅れになる前に、世の中を変えないといけない、とずっと考えている40代半ばの2児の父です。こちらのブログには、自身のフェイスブックに書いた文章を保存・閲覧することを目的にしています。

次の時代のことを、考え始めたいのです。今すぐに。

人は物を食べて生きます。

が、実際には食べるだけではありませんよね。

 

ちょっと下品な話ですが、食べたぶんだけ「うんち」をします。

 

テレビではグルメ番組が流行っていて、

みんな食べることには注目しますが、

その裏では、かならず「うんち」していますよね。

 

目を逸らしてはいるものの、

食べたものを出さない人は一人もいないわけで、

物事の全体像を捉えようと思ったら、必ず表と裏の両面と

しっかりと向き合わなければいけません。

 

例えば、「健康」ということを俯瞰するなら、

食べるだけでなく排泄も重要なはずです。

 

そんなふうに。

 

 

話は変わります。

 

Aさんが、豊かな生活をする上で

1日にビニール袋にひとつのゴミを生み出すとします。

 

そうすると、Aさんは一年で365袋のゴミを生み出すことになります。

 

Aさんほど豊かではないBさんは、

4日に1袋のペースでゴミを生み出します。

一年で91袋のゴミを生み出すということです。

が、当然、自分も豊かになりたいと思っています。

 

そして、Bさんも豊かな生活を手にいれたとき、

Bさんも一年に365袋のゴミを生み出すようになります。

 

それまでAさんとBさんを合わせて、一年に456袋だったゴミが、

730袋に増えてしまいました。

 

それだけでなく、あるときまでは、

世の中の大半の人がBさんのような生活のレベルでしたが、

努力の結果、多くの人がAさんのような

豊かな暮らしを手に入れることができるようになりました。

 

すると、豊かな人が増えるぶんだけ、

世の中は365×人数分のゴミで溢れかえるようになっていきます。

 

それが世界中で起きていくと、

まるで倍々ゲームのように地球のゴミは急激に増えていくということです。

 

簡単な算数の問題でした。

 

 

食事とうんち、そしてゴミ袋の簡単な算数の話をしたのは、

「物理的な豊かな暮らし」というものが食事だとすると、

その裏には大量の消費の結果生み出される大量のゴミと、

大量に消費するエネルギーという問題が

当たり前のこととして存在している、ということを

認識していただきたかったからです。

 

もちろん、そんなこと、皆さん、頭では知っているはずです。

 

そして、それが社会問題、環境問題になっていることも、

頭の片隅で知っているはずです。

 

いつか、誰かが手を打たなければならないのだろう、

ということも知っているはずです。

 

が、それに着手するのは、今ではない。

それに着手するのは、自分ではない。

 

そう心のどこかで思っているはずです。

 

そういう人を責めているのではありません。

我々はみんな現代の経済のサイクルの中で生きていますから、
そこから逸脱することを考えたくないのが普通なのです。

私も含めて、みんながそうなのだ、ということを

まずは共有したいのです。

 

 

人というのは、課題が「自分ごと化」されたときに、

初めて行動に移すことができるようになります。

 

脱原発運動をしている人とか、憲法を守れ、とか

言っている人とそうでない人のちがいはただひとつで、

その課題が「自分ごと化」されてしまったか、

あるいはまだ眼中にないか、ただそれだけのちがいなのです。

 

これは本当に難しい話で、

恋をしていない人にラブソングが響かないように、

他人の出来事だと思っていたことが

自分のことになる、というのは大変なことなのです。

 

 

自分ごとになるきっかけは、人それぞれでしょう。

福島の原発が爆発したのを見て、急に気がついた、

という方がいらっしゃいました。

 

身近な人がガンになって、

保険について真剣に考えた、という人もいます。

 

そうやって、突然、人の心に起こる「自分ごと化」。

 

そのメカニズムは、おそらく、

何かが自分でも共感できるヒントや糸ぐちとなって、

急に点と点が線でつながって、

「意味がわかるようになった」ということなのだと思うのです。

 

その課題は今までも目の前に存在はしていたはずなのだけど、

その存在を認識できなかったのはなぜなのか。

 

文字通り「眼中になかった」のは、なぜなのか。

 

そこと向き合いたい。

 

自分が、今のように考えるようになったきっかけは

いったいなんだったか・・・?

 

人が共感できるようになる、いい例え話はないのか?

 

とても難しいですが、

「意味がわからなかった」ことの意味が、

何かの出来事をきっかけに、急にわかるようになる、

 

そういう現象が、実際にあると思うんですね。

 

で、それが見えてきた人が、必死に訴えている。

まだ見えていない人に。

でも相手には、見えてから、届かない。

 

そういうことが、この世の中にはたくさんあるのです。

 

 

そこで起こる問題があります。

 

それは、見えていない人から見ると、

見えている人の行動やメッセージは、「異常」に見えるということです。

 

気持ち悪いんですよ。

 

例えて言えば、新興宗教に没頭している人と

まったく変わらない印象で見えてしまうのです。

 

例えば「憲法を守れ!」というデモ運動をしている人は、

まだ自分ごと化されていない人からすると、

気味の悪い人の集団に見えるのです。

 

いま、言葉を選ばずに言っていますが、

それは現実なので、そのことを批判しても仕方ないのです。

 

ものごとを動かしたいなら、

どうしたら「自分ごと化」できるのか、

ということを、真剣に真剣に考え、実践するしかない。

 

そう思うのです。

 

 

私は、というと、すべての発信の根元に、

「地球環境の問題」を置いていると思います。

 

そして、いま、資本主義という仕組みが老朽化し、

もうその寿命が尽きようとしている中で、

つぎはどんな価値観のどんな時代にすべきなのか、

ということを考えなければならない、と思っているのです。

 

だから、そのことを共感できるように、

できるだけ平易に、自分ごと化されるように、

発信をしていきたいと考えています。

 

だから今、食事とうんちの話から、

資本主義の限界の話をしたいと思っているのです。

 

 

資本主義にもいろいろな側面があるわけですが、

ひとつの特徴として、たくさんの人に

「物理的な豊かさ」を押し広げていく主義だと言えるはずです。

 

先の算数の話に出てきたBさんを、

Aさんのように変えていく、ということです。

 

昔は飛行機に乗ったことがあるのは、

ある限られた層の人しかいませんでしたが、

今ではたくさんの人が飛行機を利用するし、外国に行ったりもします。

 

サービスが一般化され、値段が下がり、

たくさんの人が利用できるようになった、という、

「豊かさを押し広げる例」のひとつです。

 

けれど、飛行機は大量の化石燃料を燃やすわけですから

例えば旅客産業が消費する燃料の量は

ここ数十年で飛躍的に伸びたと思われます。

 

そしてたくさんの人がその産業に従事して飯を食べている以上、

たくさんのお客さんが毎年飛行機を利用し、

その数が増え続けなければ、産業そのものを支えられない、

ということになりますよね。

 

それこそがまさに資本主義です。

 

つまり、「物理的な豊かさ」は、

イコール、エネルギーを消費し、ゴミを生み出すことであって、

それをどんどん増やしていくという宿命を背負った資本主義は、

環境破壊と表裏一体である、ということなのです。

 

人が食べてうんちをするように、

資本主義は、豊かさを溢れさせつつ、

地球環境を破壊する、というワンセットなのだ、ということを

 

もうそろそろ諦めて、

ちゃんと認識すべきなのではないでしょうか。

 

 

資本主義に代わる、新しい仕組みが必要です。

 

もちろん、いちど手にいれた豊かさや便利さを

すべて捨てる、という選択肢はないでしょう。

 

その中で、幸せを実感しながらも、環境を保全し、地球と共生し、

末長く人類が生きながらえていくことができる仕組みです。

 

では、新しい仕組みとはどんなものなのか?

どんなものであるべきなのか?

私の中に、まだ答えどころか、アイデアさえありません。

 

それをみんなで力を合わせて考えたいのです。

1日も早く、考え始めたいのです。

 

だって、王制から資本主義に移行するまで、400年かかってるんです。

資本主義から次に移行することもいつか必ず起こるわけですが、

それにはトライアンドエラーも含めて、ものすごい時間がかかりますよね。

 

少なくとも数十年。いや、100年くらい?

 

だから、早く始めないといけないのです。

環境は、日、1日と、壊れ続けているからです。

 

手遅れになる前に、みんなで考え始めたいです。

みんなで。

 

人類の課題を解決するのは、人類しかいません。

人類とは、私たちのことだと思うのです。