国を愛するためには、愛される国であること。
今年、全然NFLを見られていないのですが、
選手たちが国歌斉唱のときに膝をつき、
人種差別に対する抗議行動をしているのは知っています。
それに対し、トランプ大統領は、
国歌斉唱のときに膝をつく選手を解雇しろと球団に要請し、
さらに大きな問題になっています。
メジャーリーグの選手の中にも膝を着く選手が現れたり、
NFLの選手に賛同する声明を出すF1ドライバーが現れたり、
国旗や国歌をめぐる状況が、
世界のスポーツ選手たちの間で毛羽立っています。
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日本では戦後すぐから、この状況はずっとありました。
戦争で我が子を失った女性は、
ずっとときが経ったあとでも、
NHKの放送終了時の「君が代」さえ聴くことができず、
すぐにチャンネルを変えていた、という話も聞きました。
気持ちはわかります。
ジャパンハンドラーと呼ばれるリチャード・アーミテージが「Show the flag」という言葉で
日本に様々な要求を突きつけてきたとは有名ですよね。
「Show the flag」は文字通り「旗を見せろ」ということ。
お前はどっち側につくのか、
はっきり態度で示せ、ということですね。
そういうときに「Flag」が使われるのです。
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国旗や国歌って、
つまり、その国の在り方を投影するものであって、
だからこそ、人それぞれに印象が異なるもの。
その国が、その人にどんなことをしてきたのか。
その人と、国との関係はどんなものなのか。
かつて日本では、
「お国のために」というキャッチフレーズのもとに
300万人が命を落とす戦争がありました。
その戦争を起こしたのは、国民ではありません。
日本政府です。
日本政府と日本国民の関係。
それを戦後、見直すことになったとき、
日本は「国民主権」という道を選択したわけですよね。
「国のことは、政府ではなく、国民が決める」ということです。
それはひとえに、
二度とあのような凄惨な戦争を起こさないため。
戦後の日本の平和主義は、我々国民のためのものなのです。
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私は、というと、当たり前ですが、
日本を愛しているし、この国の素晴らしい風景や、
人の心に宿る文化の繊細さは誇らしいと思っています。
日の丸というデザインは、とても優れているとも思っています。
けれど、その素晴らしさは、「政府」というようなもの、
あるいは「国体」というようなもので
くくられるものではないと思っています。
国民、一人一人の自由意志で、
日の丸を愛し、国土を愛し、文化を愛する。
それが本来のあるべき姿だと思っています。
愛するって、自発的な行為ですから。
「愛せ」と言われても、心から愛していないなら
やっぱり愛することはできません。
愛のない国ほど、国旗や国歌に頼ってしまうのでしょうか。
私はそんな気がしています。
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「ブランディング」ってご存知でしょうか。
例えばある企業のロゴマークをみたときに、
あなたは何かを感じると思います。
「ここは好き」とか「デザインがいい」とか、
「すぐに壊れる」とか「使いやすい」とか、そういうことです。
その中で、なんらかの「いい」イメージを
包含できるようにすることを「ブランディング」と言います。
また悪いイメージがついてしまったものを払拭すること、
いいイメージで塗り替えて行くことを、
「リブランディング」と言います。
戦後、「日の丸」と「君が代」には、
「帝国主義」「独裁・戦争国家」という
イメージ付けがなされてしまっていました。
我々、日本人にとって、「日の丸」と「君が代」の
リブランディングは絶対的に必要なことだったのです。
ひとつは国際社会からの信頼を得るために。
もうひとつは、我々国民が、
祖国をもういちど本気で愛せるようになるために。
日本国憲法にのっとった、一貫した平和主義は、
国際貢献の現場で圧倒的な「戦争しない国」という
リブランディングに成功してきました。
また、戦後の復興を勤勉に支えてきた日本人の努力が、
経済面や文化の面で、
「誠実な国」というリブランディングを実現してきました。
それが、このわずか数年の間に、
瓦解していっています。
大丈夫でしょうか?
いちど崩れたブランドイメージを再構築するのは、
容易なことではありません。
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先般の衆議院選挙の演説の現場では、
自民党、安倍総理の登場の場面で、
聴衆たちの手に日の丸が握られているのが目立っていました。
人は、国旗を打ちふるときに、
アドレナリンが出やすいものです。
好戦的になりやすいものです。
これは、イデオロギーの問題ではなく、
「争おうとする」という人の原始的な感情を
「人権意識」という知性で補おうとしてきた
人類の近代の歴史や、そこから生まれた民主主義に
逆行するものでは?と私は思っています。
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アメリカンフットボールという競技は、
激しいコンタクトスポーツである反面、
非常に知性が求められる競技でもあります。
同じ目的のために集った仲間であるなら、
肌の色など、まったく無関係であることを、
彼らは誰より知っています。
それが、フットボールの文化だと私は思います。
選手たちが国歌斉唱のときに、膝をつくという行為。
それは、人類としての誇るべき行為だと、
私は思っています。
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最後に、最近ニュースになっていた
エピソードをひとつ紹介します。
アメリカのある場所で、白人至上主義者の人に、
ある黒人の男性が聞きました。
「なんで僕のことが嫌いなんだ?」
白人男性は最初、無視をつづけました。
黒人男性は、この人に足りないのは「愛」だと感じ、
彼のことをハグし、ハグし返すようにいいながら、
問い続けました。
「なんで僕のことが嫌いなんだ?」
「なんで僕のことが嫌いなんだ?」
「なんで僕のことが嫌いなんだ?」
根負けした白人男性はついにハグを仕返し、
こう答えたそうです。
「わからない」
それこそが答えです。
差別に、理由はないのです。
そこに我々人類が向き合うべき、
そして克服すべき、大きなテーマがあるのだと思います。