TKMA’s diary

手遅れになる前に、世の中を変えないといけない、とずっと考えている40代半ばの2児の父です。こちらのブログには、自身のフェイスブックに書いた文章を保存・閲覧することを目的にしています。

クリエィティブは、社会のアンテナの役割を果たす。

「クリエィティブな人」というのがいますね。

私の定義は、「創造性のある人」とか「想像力のある人」
あるいは「優れた感受性を持った人」です。

一般的には「ものづくり」をしている人のことを指すように思いますが、
職業的に「クリエイター」と呼ばれる人でなくても、
クリエィティブな思考回路を持つ人はたくさんいます。

絵描きだろうが、ミュージシャンだろうが、
数学者だろうが、憲法学者だろうが、
鋭い感受性を持って情報を吸収し、
創造性をもって思考する人々。

ここではそういう人を総称して、
クリエィティブな人と呼んでいます。

さて、クリエィティブな人って、
具体的にはどんな人のことでしょうか。

私が思うには、例えばこんな人です。

子供の頃に映画を観て、感動した、という経験は
多くの方が持っていることだと思います。
しかし、その中の一握りの人が、
「自分もこういうものを作りたい」と感じる。
そういう人。

与えられたルーティン業務でも、
なにか「もっと良くなるんじゃないか」と考えて、
つい創意工夫してしまう。
そういう人。

何かの構造を見たときに、
「どうしてこうなっているんだろう?」と
考えてしまう人。
そういう人。

ある現象の予兆の段階から、
この状態がつづくと、いずれはこうなる、という未来図を描ける人。
そういう人。

物事の原因のさらに原因をさぐり出そうとし、
そこに普遍的な公式を導き出そうとする人。
そういう人。

つねに頭を使い、心で感じ、
それをなんらかの形でアウトプットしようとする人。
それがクリエィティブな人だと思います。

なぜ、いま、「クリエィティブな人」について語るのか、というと、
クリエィティブな人には、ある一定の特徴と、
そこに起因する社会的な役割があると感じているからです。

彼らは「想像力」や「感受性」が高い傾向にある、ということですが
で、あるからこそ、彼らは「社会のアンテナ」の役割を果たし、
かつ、クリエィティブでない人々に気づきを与えられるように
情報を「翻訳する」役割があるのだと思うのです。

最近、ようやく、
現政権に対してミュージシャンやクリエイターの人々が
声を上げる傾向が目立って来ましたね。

彼らがこぞって動き出すという現象は、
シグナルであると解釈すべきなのです。

感性の高い彼らは小さな情報から
大きな未来を思い描くことができますから、例えるなら
「火事になったら最初に逃げていくネズミ」みたいなものなのです。

彼らはネズミのように逃げ出すわけではなく、
なんらかのメッセージを発して我々のような普通の人間に向けて
「はやく気づけ!」と警告をするわけですが。
それぞれの得意な表現方法を使って。

ある人は歌い、ある人は書き、ある人は映画を作り、
またある人は語ったりしながら、私たちに気づきを促している。

周りを見て見てください。
現政権に異を唱えている人々。
宮崎駿さんや、吉永小百合さんや、倉本聰さん、
沢田研二さんや、吉川晃司さんや、
生きていれば忌野清志郎さんや、
事態を知ればJohn Lennonもまちがいなく発信していたでしょう。

他にもたくさんいますが、
こういう面々を見て、皆さんはどう感じるのでしょうか。

「あぁ、この連中は左翼だもんな」くらいに思うのでしょうか?

私は、非常にすぐれた見識を持った、
考えの深い方々だと思っています。

こういう「優れた感性を持った人々」が、
同時に社会に対して騒ぎ出しているという現象は、
野生動物が天変地異の予兆を察知して、
まだ何も起こっていないように見えるのに
大慌てで逃げ出しているのと同じような現象なのですよね。

彼らは社会のアンテナであり、警告ランプなのだと思うのです。

いま、政権に対してメッセージを発信しているのは、
そういう人たちの中でも「勇気ある人々」です。

理由はふたつあって、ひとつは、
現政権がメディアをコントロールする戦略に乗り出しているので、
権力に楯突く彼らは、今後メディアから干される可能性があり、
それはつまり仕事をなくす=食っていけなくなるという
リスクをはらんでいること。

もうひとつは、初期の段階で声を上げる人というのは
周囲から奇異な目で見られがちであったり、
あるいはこの声が大きく育たなかった場合、
ハシゴを外された形になって孤立無援になる可能性があるからです。

しかし、クリエィティブな性能を持ってこの世に生まれた人は、
実はみんなうっすら気づいているはずです。

この動きを、大きく育てていく推進力になるべきなのは、
自分たちであるということを。

いま、私たちに問われているのは、
「生き方」なのじゃないでしょうか?

このまま、この流れに任せてしまって、
私たちは、いつかやってくる自分の命が尽きるその最後の瞬間に、
「これで良かったのだ」と納得できるのでしょうか?

自分を許せるのでしょうか?

悔いは残りませんか?

未来は変えられますよ。
我々が、本気で望みさえすれば。
社会も変えられるし、安倍政権なんて、簡単に変えられます。

だって、私たちはこれから、地球というこの惑星を救うという、
もっともっと全然大きなテーマに立ち向かうんですよね?
みんなで力を合わせて。

でないと、未来はないですから。
ですよね?

じゃ、くだらないことで時間を無駄にするのは、もうやめましょう。
さっさと片付けて、本当のお題に取り掛からないとね!