TKMA’s diary

手遅れになる前に、世の中を変えないといけない、とずっと考えている40代半ばの2児の父です。こちらのブログには、自身のフェイスブックに書いた文章を保存・閲覧することを目的にしています。

広告を考える技法と、広告そのものはちがう。

皆さん、テレビのコマーシャルを作ってみたことはありますか?

いや、作ったことはなかったとしても、

考えてみたことはあるでしょうか?

 

実は広告というのは、非常によく考えて作られています。

 

なにを考えてあるか、というと、

人にいかにして覚えてもらえるか、という点についてです。

 

広告というのは「無視されるコミュニケーション」と言われます。

つまり相手に無視されることを前提にする、という意味です。

 

なぜなら、広告が相手にするのは、常に見ず知らずの人であり、

そういう人たちに急に話しかけても、無視されるに決まっているからです。

 

なので、「いかに、無視されないか」ということを

必死で考えているわけですね。

 

それは映像インパクトであったり、音楽の要素であったり、

さまざまな要素を使って実現するわけです。

 

で、仮に無視されなかったとして、相手がそのCMを見てくれたとしても、

その人の心に何も残すことができなかったら、

意味がゼロになってしまいますね。

 

ですので、いかにして伝えたかったことを覚えてもらうか、

ということも、ものすごく苦労して考えられているのです。

 

ためしに、いま、何か覚えているCMを思い出してください。

それは出演者だったり、音楽や歌だったり、

あるいはキャッチコピー(言葉)かも知れないですね。

 

ちゃんと人に覚えてもらえるCMというのは、

ものすごく考えられているのです。

 

 

しかし、CMクリエイターが必死に頭を働かせて考えて、

伝わりやすい、覚えやすい、わかりやすいCMを作っていくと、

人はどうなるのか。世の中は、いったいどうなるのか。

 

これはですね、皮肉なことに、真逆なことが起こります。

 

つまり、「考えない人」を生み出すことになるのですね。

 

当たり前ですよね。その商品やサービスのいったい何がいいのか、

それを先に別の人が必死に考えてくれていたのですから、

視聴者はただそれを受け止めて、心にひっかかったものだけ、

買ってみたり、体験してみればいいのです。

 

それが「消費者」です。

 

消費者はただ、「感じる」だけでいいのです。

気分がいいか、あるいは、何も感じないか。

 

ただそれだけです。

 

感じる以上のことを考えさせるものは、

CMとしてはサービスが足りないわけですね。

 

CMがこういうことになっていくと、

なによりも「わかりやすい」ということが

エンターテイメント作品の重要な要素になってしまいます。

 

なぜなら、何かの作品を作るときには、

必ずその制作に金を出すスポンサーを事前に納得させなくちゃいけません。

 

そういう人たちはすでに考えることを放棄させられていますから、

簡単なキャッチコピーで表現できる内容でないとOKを出せません。

あるいはキャストやスタッフが誰か、といったような

外堀だけで中身を判断していくことになります。

 

料理で言えば、鶏肉をつかって、醤油とニンニクを使うのだから

きっと旨いに決まってるだろう!みたいに判断していくわけですね。

 

テレビからも、映画のスクリーンからも、

「人に考えさせる」という機能が失われ、

ただうのみにすることしかできない、

感受性のない人間を量産してしまうことになるんですね。

 

そういえば、先日、「さ、洗い流そう」というキャッチコピーの

牛乳石鹸の動画が物議を醸しましたが、

私はこう思いました。

 

「これだけいろんな人が、

いろんな感想や意見を持つことは素晴らしい」

 

とにかく、みな、「わかりやすくて当たり前だ」と思いすぎなのです。

 

もういちど書きます。

 

広告はよく考えてつくられているが、

広告は、人を考えなくさせる。

 

そういう現実があるのです。

 

 

さ、ここから本番なのですが、

今のように政治が「イメージだけ」で決められていくようになった

ひとつのきっかけに、キャッチコピー政治というのがあります。

 

私が知っている限りでは、小泉総理の、

自民党をぶっ壊す」というのがその走りですね。

 

それ以前も「所得倍増計画」とか、「不沈空母」とか、

印象的な言葉はありましたが、

それらはイメージを語っているのではなくて、

本当に何をしようとしているかを表現していますね。

 

ところが、「自民党をぶっ壊す」は、何も言っていません。

 

壊される「今までの自民党」はどんな自民党を指しているのか。

その結果生まれる新しい自民党は、どんなものなのか。

何も言っていませんね。

 

ただ威勢の良さだけは伝わってきます。

 

人々はこのとき、「何かやってくれそうだ」ということだけを感じました。

そしてみんな投票しました。

 

総理になった小泉さんがやったことは、

国民が誰一人要求したわけではなかった、郵政民営化でした。

 

この「自民党をぶっ壊す」こそが、

キャッチコピー政治です。

 

こういう、政治色のない、しかも耳に心地よい言葉は、

ふだん政治に興味関心のない人に投票を促すのに

ものすごく効果的なのであり、

当時、これをコピーライターが書いたのだとしたら、

ものすごく優秀であると言うしかないでしょう。

 

このときから、日本人は、政治家に期待することが変わりました。

まるで映画の予告編のように、

こりゃおもしろそうだ!と思うものにだけ反応するようになった。

 

「生活が第一!」みたいな、

本当に政治に関わるようなメッセージは、とても退屈なものになったのです。

 

ここのところの安倍政権のキャッチフレーズ、

「この道しかない」とか、「日本を守り抜く」とか、

感じるのはとにかく、「威勢の良さ」です。

 

それと、「我々に任せておけば、

あなた方は考えなくていいのだ」というような一刀両断感ですね。

 

こんな言い方をなぜしようとするのか、

ちょっと考えて見ませんか?

 

 

いま、衆議院選挙が終わって、このままだと

憲法改正の発議は行われるでしょう。

 

そうなると憲法を改正するかどうかは、

国民投票に委ねられます。

 

そのとき、ものすごい量の「改憲した方がいい」という趣旨のCMや

広告が、世の中に溢れることを予感しています。

 

なんといっても、自民党経団連の願いですから、

金はあるのです。

 

そのとき、皆さんから思考を奪い、

憲法を変えないより、変えた方がいいのだ」という気にさせるような

さまざまなコミュニケーションが生み出されるでしょう。

 

おそらく、それらのメッセージは、

「国民の命を守る」ということがベースになると思います。

 

今の憲法のままでは、国民の命が守れないのだ、と。

 

そうなると、おそらく憲法9条が大きな議論になります。

けれどね、皆さん、

9条なんて、どうでもいいのですよ。

 

なんなら、くれてやってもいいのです。

 

なぜなら、それは単なる撒き餌にすぎないからです。

忍者が姿を消す時のドロンの煙に過ぎないのです。

 

彼らの本当の狙いは、憲法11条と97条を変えることなのです。

 

そこだけは、忘れないで欲しい。

11条と、97条です。

 

11と97という数字を、覚えてください。

 

 

11条は日本国民の基本的人権について書いています。

今の憲法ではこう書いてあります。

 

「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。」

 

これが、自民の案ではこうなっています。

 

「国民は、全ての基本的人権が享有される。」

 

このふたつ、意味がまったく違いますからね。

今の憲法では、我々国民は基本的人権を奪われることがない。と明言している。

それに対し、自民の案は、

ただ単に「国民には基本的人権がある」と言っているだけ。

 

これは「奪われる場合がある」ということを示唆しています。

 

非常事態条項を入れることで、国民の基本的人権を停止しようという意味です。

 

そして現行憲法の97条には何が書いてあるか。

 

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、

 人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、

 これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、

 侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

 

こう書いてあります。

 

この97条は、我々の基本的人権が侵すことのできない永久の権利だ、

と明言しているのです。

が、自民党は、この97条を全削除しているのです。

 

全削除です。

 

よく安倍総理は「戦後レジームからの脱却」という言葉を使っていました。

 

彼らのいう戦後レジームとはなにか。

それは、日本国憲法が定めた、

国民主権、平和主義、基本的人権の尊重、

その3つのことなのです。

 

それを破壊し、日本を明治時代に戻すことが、

今の自民党、安倍政権の目標なのです。

 

 

自民党をずっと支持してきた方に言いたいのです。

 

よく目を見開いてください。

今の自民党は、あなたが支持してきた自民党ではありません。

彼らが何をしようとしているのか、よく見てください。

 

実は、いまの共産党も、昔の共産党とはちがいます。

政党の名前は同じでも、中身がぜんぜんちがうのですよ。

 

口では保守、保守、と言いながら、

この日本を劇的に変えようとしているのが自民党なのです。

 

しかも進化させるのではなく、100年以上退化させようとしている。

 

あなたが今まで自民党を支持してきたことに、敬意を払いつつ、

同じ気持ちで現政権を支持することだけは、

立ち止まって考えて見て欲しいのです。

 

一緒に考えていきませんか。