TKMA’s diary

手遅れになる前に、世の中を変えないといけない、とずっと考えている40代半ばの2児の父です。こちらのブログには、自身のフェイスブックに書いた文章を保存・閲覧することを目的にしています。

日本は「普通の国」ではないから、カッコイイのです。

あなたは、自分の個性を大切にしたいですか?

それとも、他の人とできるだけちがわない、「画一性」に価値を見出しますか?

 

言い方を変えてみましょう。

あなた自身ではなく、あなたが「この人はステキだな」とか、

「こんな人になりたいな」という人はどんな人でしょうか。

あるいは、この人は印象に残るな、というのはどんな人ですか?

 

できるだけどこにでもいるような、特徴のない人?

 

それとも、何かひとつだけでも、

「この人らしいな」という面を持つ人でしょうか。

 

それは外見に関わることではないかも知れません。

ブレないとか、意志があるとか、優しいとか、熱心とか、

深くあなたを愛している、とか。

 

要は「他とちがう何か、があるか」ということです。

 

私は、どちらかというと、

その人らしい何か光るものがある人に惹かれます。

 

カッコいいですから。

 

それが外見的なときもあるかも知れないし、内面的なものの場合もあります。

どちらにしても、キラリと光る何かがないと、

「記憶できる」という点でアピールする力は弱いかな、と思います。

 

その人の名前を聞くだけで、連想できる何か。

 

それが、その人の魅力なんじゃないかな、と思うのです。

 

人間関係が深くなると、その人の魅力ってのは

より内面的なものに変わっていくものですが、

第一印象としては、こういうことが言えると思います。

 

 

さて、話を「国」という単位にしてみます。

 

ある国の名前を聞いたときに、

何かを連想する国と、何も思い浮かばない国がありますよね。

 

興味がわく国と、わかない国、とも言えるかも知れません。

 

もちろん原因は単純に知名度が低い、

どんな国か知らない、という場合がほとんどだと思います。

 

では、なぜ「知らない」のか。

 

恐らく、国を形成する要素は一揃い持っているのだけど、

あなたと関係のあることや、

あなたの記憶に残る何かがない、ということなのだと思います。

 

何か、というのは、例えば、

ベルギーと聞くと、

チョコレートとか、ビールとか、

F1好きならスパフランコルシャンとか、

 

インドならガンジス川とか、カレーとか。

 

何か思い浮かびます。

 

いま挙げたような例は、文化的な特徴というんでしょうかね。

どこの国にも必ず何かがあると思います。

 

 

話が少し飛ぶのですが、「国の在り方」や「軍備・国防」

という観点で見たときにも、普通の国と、特徴のある国というのがあります。

 

記憶に残る何かを持っている国と、

もっていない普通の国がある、ということです。

 

ここでいう「普通の国」というのは、

軍を持っていて戦争が起こればそれに参加する国です。

「場合によっては他国と喧嘩することもあるぜ」という国ですね。

 

それらの中には「核保有国」というのがいくつかあって、

特に世界の中で軍事的に発言力を強めたい姿勢がある、と受け取れる国です。

 

でも、「俺たちは喧嘩は強いぞ」とメッセージしているだけで、

まぁ普通の国です。

 

一方で、変わった国としては、

例えばスイスのような永世中立国があります。

永世中立国というのは、戦争をしない国、

という認識を持っている人もいますが、ちがいます。

 

永世中立国とは、絶対に他国とつるまない、と決めている国です。

「中立」ですからね。

 

世界大戦が起きても、AチームにもBチームにも絶対に属さない。

どちらの陣営にもつかないぞ、と表明している、という意味です。

 

なので、もしどこかの国から攻められることがあったら、

例え全世界を敵に回すとしても、一国だけで国を守ると決めている、

ということですので、かなりの軍備を持つことになります。

 

スイスは、そういう国です。

徴兵制もありますよ。

 

でも、大丈夫なのです。

スイスに住む人々は、そういう国の姿勢に合意していて、

それを誇りに思っているからです。

私は、素晴らしいことだと思います。

 

スイスは中立なので、自分たちで戦争をしかけない限り、

どこかの戦争に巻き込まれる可能性はゼロなのですから。

 

しょっちゅう戦争をしたり、しょっちゅう戦争する国と

仲良くしようとしたりする国で徴兵されるのとは、わけがちがいます。

 

ともあれ、スイスは特徴のある、ユニークな国です。

 

 

「国の在り方・国防」という意味で、

一際異彩を放っている国が、もうひとつあります。

 

それが、私たちの国「日本」です。

 

戦争になっても、どこともつるまない、というスイスより、

もっともっと変わった姿勢を表明しているのが、日本なのです。

 

私たちの国・日本は、最高法規である憲法で、

「交戦権の放棄」をしています。

 

これはつまり、どこの国とも戦争をしない、という表明です。

 

すごくないですか?

戦争になっても、どちらの側にもつかない、というのではなく、

「戦争そのものをぜったにしないよ」と言っているのです。

 

そして、世界のみんながそう言えば、この星から戦争がなくなるよ、と。

そういう活動のリーダーになりたいよ、と言っている。

 

それが、私たちの国、日本です。

 

そのようなコンセプトを総称して、

「平和主義」と言っています。

 

こうやって、戦争しない国、

戦争は良くないよと世界に言って回る国、日本は、

万が一、他国から攻められたときに備えて、

最低限の防戦のみを行う自衛隊を持つものの、

日本から他国へ戦争を挑むということは、絶対にない国なのです。

 

めちゃくちゃカッコよくないですか?

 

クラスにもいたでしょう。

本当はケンカが強いのに、絶対に人に手出しせず、

それでいて強いものにも流れず、

はっきりと、でも穏やかに自分の意見を表明できるような奴が。

 

なにか、他とちょっとちがう雰囲気を醸し出している奴。

 

きっとサムライとは、そういう人格なのではないですかね。

「この人がそういうなら」というオーラを放つ人ですよ。

 

私はそういう人が、ものすごく日本的だし、

カッコいいと思います。

 

 

話が飛んでしまいましたが、

戦後70年以上、日本が一度も戦争をせずに来たのは、

この平和主義の理想を実践してきたからに他ならず、

「戦争をしない国」というキャッチコピーが、

国際社会の中での日本の地位を高めて来ました。

 

「あの人、美人だよね」とみんなが言っているのに、

本人には自覚がない人というのがいますが、

今の日本は、まるでそれと似ています。

日本という国は、日本国民が自覚している以上に、

「平和を尊ぶ国」として、諸外国からカッコいいと思われているんですよ。

 

それを、日本人がいちばんわかっていない。

ちゃんと鏡を見てみるべきです。

 

そのカッコ良さを、みすみす捨てるなんて、馬鹿げています。

70年かけて築き上げたブランドを捨てれば、

また新しいブランディングをするのに数十年かかるでしょうから。

 

 

よく、戦争になったら、憲法では国は守れない、

という意見を言う人がいます。

 

申し訳ないですが、これはまちがいなんですね。

 

憲法で国は守れます。

少なくとも、守る効果があります。

 

どういう仕組みか、というと、憲法はたしかに日本という国の勝手な決まりですが、

そういう決まりを持った国であることを、諸外国は知っています。

 

それはつまり、世界を巻き込んだ戦争という事態が起きたとしても、

日本はそれに参加しないということを、諸外国は知っている、ということです。

(ここを破るから、集団的自衛権はヤバイ!)

この戦争と関係のない国であれば、

戦争している国はそこを攻めることも戦場にすることもないのです。

 

スティーブ・マックイーンが主演した不朽の名作

大脱走」のラストシーンはご存知でしょうか?

 

ドイツ軍の捕虜収容所から脱走した彼は、

盗んだバイクでスイスとの国境を目指します。

 

最後、その国境の鉄条網を越えることはできなかったわけですが、

逆に言えば、そこさえ越えれば彼の勝ち。

「この戦争に関係ない場所」に逃げ込んだ、ということです。

 

第二次大戦の時、スイスは安全な場所でした。

なぜなら、この戦争に参加しないと表明していたからで、

戦争をしている人々も、スイスを巻き込むことはしなかった。

 

そういうことです。

もちろん、「我々はこの戦争には無関係だ」と表明するために必要な、

自己防衛のための軍備はありましたから、

安易に手出しできない、というのもあったでしょう。

 

しかし、このような無関係の国を攻撃する、ということは、

国際社会の中で非常に立場を悪くしますから、通常はやらないのです。

 

日本は「戦争をしない」と表明しながら、

世界第7位の自己防衛装備を持った先進国です。

 

安易に手出しできないと印象づけるには十分の装備です。

 

日本が「非戦」を表明続ける限り、

そのような国を安易に攻めれば自滅につながりますから、

他国は日本に手出しできないのです。

 

このことを、私は勝手に「憲法9条のプレゼンテーション効果」と呼んでいます。

 

尖閣諸島などの話をする人がいるかも知れませんが、あれは「領土問題」です。

国境がどこにあるのか、ということが経済水域を決めるので、

互いに「俺のもんだ」と主張しますが、だからといって、

中国も韓国も、日本列島そのものを「自分のもんだ」と言ってきたりはしません。

 

そんなはずは、ないからです。

 

あそこの問題が、国そのものの存亡を脅かすと捉えるのはまちがいです。

 

放っておいたら中国は攻めてくる?

そんな国が、なぜ311のあと、日本に義援金を送ってくれるのですか?

 

物事は、大局から見つめるべきです。

 

 

戦後70年、日本がどこからも攻撃されなかったのは、

アメリカに守られていたからだ、という認識を持っている人も多いです。

 

しかし、それも正しいとは言い切れません。

 

アメリカは、日本を守るために日本に基地を持っているわけではありません。

アメリカの国益のために日本に軍を置いているだけです。

 

アメリカという国は、アジアからみると太平洋を挟んだ先にあって、

中国やロシアから非常に遠いのです。

 

そういう国々と交戦状態になったときに、

アメリカ本土を戦場にすることなく事態を進めるには、

緩衝地帯としてアジアに近い場所で相手の進出を抑える防波堤が必要なのです。

 

世界地図で日本の位置を見ると、

ちょうどアジアの大陸を見張るにはちょうどいい場所にありますよね。

 

アメリカ軍のサテライト基地を置くには最高の場所なのです。

 

中曽根元総理が「日本を不沈空母にする」と発言したことがありすが、

悲しいですが、まさにそれなんですね。

 

日本はアメリカ軍のための沈まない空母の役割をしているだけなのです。

 

米軍基地が攻撃されれば、もちろん米軍は動くでしょうが、

それとは関係のない日本のどこかが攻撃されても、

アメリカは日本を守ったりしません。

 

米軍が日本を守るには、米国の議会の承認が必要で、

議会がNOと言えば、日本は見殺しなのです。

 

 

さて、お話ししたように、日本という国は、

「どこの国とも戦争をしない」と表明している、世界でもとても珍しい国です。

 

私たちは、世界中が羨むような、

素晴らしく「変わった」憲法を持っているのです。

 

そんな変わった国だからこそ、

「日本は平和の国なのだ」と、世界中の国が覚えてくれているのです。

 

ユニークな人ほど、覚えてもらいやすいのと同じことです。

 

そして、みんながそう覚えてくれていることが、

結果として我々の国、日本を守っているのです。

 

言い換えれば、平和主義国家である日本を、

世界の良識が守ってくれているのです。

 

それが、戦争できる国、普通の国になった瞬間に、

日本を守っていた日本の価値は消えてなくなります。

 

日本は、キラリと光るものがなくなり、戦争屋アメリカの手先として

世界からの恨みを引き受ける係にされてしまうかも知れません。

 

あなたは、カッコいい国、日本が、

カッコ悪くなることを認められますか?

 

あまりにも、もったいないと思いませんか?