TKMA’s diary

手遅れになる前に、世の中を変えないといけない、とずっと考えている40代半ばの2児の父です。こちらのブログには、自身のフェイスブックに書いた文章を保存・閲覧することを目的にしています。

他人の命を使う権利

 

皆さんは、ご自分の欲求を実現するために、

誰か他の人の命を使う権利が、自分にあると思いますか?

 

逆に、誰か知らない人が、その人の欲求を実現するために、

あなたの命を使う権利があると主張してきたとしたら、

どう思いますか?

 

ここでいう「命を使う」とは、労働力のことではなく、

文字通り、命を差し出させる、という意味です。

 

もっと具体的に言えば、死なせる、ということ。

 

「俺のために、お前は死ね」という要求を、

あなたはのむことができるでしょうか?

 

 

かつて、自分の欲求の実現のために

他の人間の命を使う権利を、実際に持っている人がいました。

 

「王様」です。

アレキサンダー大王とか、ルイ何世とか、そういう人です。

 

日本にもいました。

殿様ですね。

徳川家康もそうですし、武田信玄とか、そういう人たちもそう。

 

王様たちは、自分の領地に住む人々の命を、

自分の計画実行のために、自由に使うことができました。

 

なぜだと思いますか?

 

その答えは、

人類がまだ「人権」というものを発見していなかったからです。

 

 

日本では江戸時代まで将軍様が王様だったわけですが、

大規模な内紛の末に政権交代が起きて、

明治の始めに天皇がその座に着きました。

 

天皇って昔からいたんじゃないの?って思いますか?

そうです。天皇そのものはずっと昔から日本にいるのですが、

実質的に政治にいた期間は意外と短いのです。

 

少なくともお侍さんが支配していた時代は

天皇は権力者ではなく、将軍が日本を統治する権限を

天皇から預かる、という形式をとっていました。

 

権力のアウトソーシングですね。

 

で、明治になるときに、

やっぱり国を支配する権限を天皇に返せ、

(と薩長が言い出し(汗))江戸幕府は倒れ、

天皇国家元首にした明治時代になるわけです。

 

それまでの一般の日本人は、別に徳川幕府に仕えていたわけではなく、

自分が住んでいる場所の領主に帰属していただけですから、

自分が「日本人である」などという感覚はなかったでしょう。

 

明治政府は日本全土にいる日本人の命を、

自由に使えるようにしたかったわけですね。

だから、天皇という日本全体の領主をまつりあげて、

国民を天皇の子、という意味の「臣民」と呼んで、

彼のために全員、命をさせし出せ、という教育を施していった。

 

戦前までの天皇は日本の王様でしたから、

日本人の命を自由に使う権利を持っていた、ということなんですね。

だからあんな戦争ができてしまったし、

明治新政府を作った人々はそういう国づくりがしたかったから、

そういうことができる明治憲法をつくり、

大日本帝国をつくりあげたわけです。

 

これが、私たちの国、日本の客観的な近代史です。

 

 

人権意識とか、基本的人権というものがあります。

これはどういうことか。

いろんな言い方がありますが、私が自分の言葉で説明するなら、

「人はそれぞれに自分の意志で生きる権利がある」ということです。

 

別の言い方をするならば、

「自分の欲求を実現するために、他の人の命を使う権利は誰にもない」

ということですね。

 

人権意識というのは、第一次世界大戦が終わった頃に芽生えたものだそうです。

 

人間はそれまでもたくさんの戦争をしてきたわけですが、

全世界を巻き込んだ形で凄惨な殺し合いをするとまでは思っていなかった。

そこまで愚かだとは思っていなかったのです。

 

けれども、第一次世界大戦が終わったときに、

人類はなんて愚かなのだろうと、思ったわけです。

 

その反省から、王様だからって、他の人の命を好きにすることはできない、

人はみんな、それぞれの同じ重みの命を持っているのだ、

という考え方にたどり着き、それが「人権」というものになっていった。

 

これは、人類にとって本当に知性的な発見だったはずです。

そして、この人権意識に深く根ざした考え方が、

「リベラル」と呼ばれるものなわけです。

 

日本は第二次世界大戦に敗れたときに、その反省から、

民主化」が行われました。

 

世界でももっとも進んだ人権意識を持つリベラルな憲法

日本国憲法をつくり、その考えのもとに

世界のどの国ともちがう、平和を尊ぶ強い人権意識を持って

この70年を無戦争で過ごしてきました。

 

これは、世界に誇るべきことです。

 

 

いま、この国の最高のルールブックである憲法では、

天皇はいるにはいるが、まったく権力のない「シンボル」

という位置付けになっています。

 

日本は国民主権の国ですから、

現状、この国に人々を支配する権力者はおらず、

他人の命を勝手に使う権利を持った人はいないのです。

 

だから、私たちは「自由」に生きているわけです。

しかし、先にも書いたように、日本の主権者は国民ですから、

国民が同意してしまえば、他人の命を使うことも可能にはなってしまいます。

 

その部分を理解しておくことが、とっても重要だと思うのです。

 

 

例えば、安保法制でもなんでもいいのですが、

日本がどこかの戦争に加わるか、加わらないか、

あるいはその可能性についての判断をするときに、

「戦争をすべきだ」という意見を言っていいのは、

自分が兵隊になって最前線に行くことに、

文句なく同意できる人だけであるべきだと思うのです。

 

戦争は、そこで命を張ることに同意した軍隊や自衛隊

どこか自分には関係の無い場所でドンパチしてくるだけ、と思っているなら

それはとても無責任なことですし、

そもそも、自分の欲求のために他人の命を使ってしまっていることになるからです。

 

戦争というのは、軍隊がやるものではありません。

軍隊の行動によって、市民が死ぬ現象です。

だから、戦争を是とした瞬間に、あなた自身が死ぬことを

ちゃんと覚悟し、同意できなければ嘘なのです。

 

もしあなたが、「戦争そのものはいいが、自分が死ぬのはいやだ」と

少しでも考えるなら、やはり戦争そのものに同意してはいけないのです。

 

その資格が、ないからです。

 

 

国民主権とは、実は両刃です。

 

なぜなら、国民の意識が低いと、そのまま「やばい状態」に直結するからです。

為政者も「国民がイエスと言いさえすればいい」という政治手法をしますから、

なんとか国民に本当のことを言わず、方便をつかって

「了承だけ取り付けよう」という政治をします。

 

そもそも、リベラルとは、「個人を尊重する」ということですから、

リベラルな世の中は、個人に「ちゃんとする」ことを要求する社会です。

 

あなたが望んでも望まなくても、

あるいは知っていても知らなかったとしても、

現代の日本はリベラルな憲法によって

政府の愚行から国民の命を守るという、というリベラルな国家なのであって、

 

リベラルな社会は、ひとりひとりの個人に

「考えること」と「参加すること」を要求する社会なのです。

憲法にも「不断の努力が大事だ」と書いてあるように。

 

 

さて、最後に、子を持つお母さんたちに考えて欲しいのです。

あなたが苦労して子を産み、育てているのは、

いったいなんのためですか?

 

兵隊に取られて、戦場で誰かを殺し、自らも死んで行くためですか?

 

きっとちがいますよね?

もし、そういうことが現実になることを避けたいのであれば、

お願いがあるのです。

 

無関心な人が少しでも少なくなるように、まわりに話して下さい。

それがあなたのお子さんを守ることになるのです。

 

子供のいない人も、無関心な人も、みんな等しく、1票を持っています。

その1票が、無意識に現政権の側に投じられれば、

あるいは、投票そのものも行われなければ、

その罪なき意識によって、将来、あなたのお子さんが

命を差し出すことを迫られるかも知れないのです。

 

誰も他人の命を使う権利なんて、持っていないはずです。

 

それを手にしたいと思う人々から、子供たちを守ってください。

私も、がんばります。