TKMA’s diary

手遅れになる前に、世の中を変えないといけない、とずっと考えている40代半ばの2児の父です。こちらのブログには、自身のフェイスブックに書いた文章を保存・閲覧することを目的にしています。

子どもたちに、約束したいこと。

私は昭和46年生まれで、戦後の平和教育を受けて来た世代です。

 

教育はすべてがある種の洗脳であると言われれば、

私も平和を洗脳されているのかもしれないけれど、

昭和の平和教育は、「ナショナリズムの洗脳による蛮行」に対する

アンチテーゼとして生まれたことだけは確かであって、

それはつまり「誤った行動に対する反省」に準拠しているわけですよね。

 

私は貧乏な家に育ったので、

物理的には恵まれた子供時代ではなかったけれど、

それでも、子供時代を思い返すと、なぜかいつも楽しかったし、

幸せな気持だったように思うのです。

 

中学時代、高校時代が1980年代で、

先進国は豊かさを貧しい国に分けなければ、という気運が出ていました。

 

扇動したのはMTV世代のアーティストたちでした。

イギリスのBand AidやアメリカのUSA for Africaなどを筆頭に。

 

「自由」や「豊かさ」を基軸にした、

それをみんなで「分け合おう」という気持ち。

 

そういうものが「正しい」と思われていたはずでした。

 

東西冷戦が終わったり、ベルリンの壁が崩壊したりして、

世の中は「共存共栄・奪い合いではなく、分かち合う」世界に

向かっているように見えました。

 

戦争ではなく、平和こそが正しい、と。

 

「愛の時代になっていく」あの感じ。

社会から「不安」が排除されて行くんだ、という

そこはかとなく夢や希望を皆が共有している、あの感じ。

 

私はそういうムードの中で成長していきました。

私だけでなく、あの時代を生きた同じ世代が、

大きい流れとしては、その中で生きていたはずです。

 

日本は実体経済の景気が良かったこともあって、

経済格差は少なく、皆が、なんらかの形で好景気の恩恵に預かっていたし、

私が片親だったにもかかわらず私立大学に行けたのも、

そんな時代背景があったからに他なりません。

 

私は、ラッキーな時代を生きさせてもらえたと思っています。

私だけでなく、同世代は、みなその恩恵に与っていたはずなのです。

 

   ※

 

近年、いろいろなことがアタマの中を回り続けています。

世の中を良くしたいと、がんばろうと思うこともあれば、

もうダメだ、と諦めかけたり。

 

ふと、思うのは、私が思い悩むその感情の原因を

ずっとずっと辿っていくと、そこにあるのは、

「人間が存続していくために」というテーマがあることに気づくのです。

 

しかし、それさえ、正しいかどうかがわからなくなってきた。

 

おそらく、この地球上にいる人類以外のすべての生き物にとって、

人類の絶滅は非常に喜ばしいことなのだと思うのです。

 

もちろん、母なる地球も、我々が一方的に母と呼んでいるだけで、

地球から見れば人類は寄生虫やウイルスや、がん細胞にちかい存在なわけで、

別にいてくれなくても一向に構わない存在なんですよね。

 

そうすると、本当に「人類が存続していく」ことが

それほど重要なのだろうか、と思えてさえしまう・・・。

 

私の思考も行くところまで行ってしまったのか(笑)

 

   ※

 

ただ、どうあっても、ひとつだけ思うことはあるのです。

それは、子供達には、自分が子供時代に感じた

あの「感じ」を、ちゃんと体験させてあげたいのです。

 

口では言わないけれど、

ちゃんと「愛に包まれている」というあの感じです。

 

将来に対する不安もなく、世の中がどんどん良くなって行く感じ。

大人になることにワクワクしていた、あの感じ。

 

そういうことを思うのです。

 

今や、私の中にあるのは、それだけかもしれません。

私が生きている間にできることは、それだけなのだ、

ということが見えて来た、ということかな?

 

未来をちゃんと作れる次の世代を、この世界の中で育成していくことです。

 

奇しくも、昨日、私は中学3年生の息子に言われました。

「我が家にゲームを買わないでくれて、ありがとう」って。

 

最近、息子は精神的な成長が著しいのですが、

そんな彼から、その言葉をもらえて、

親として「ひとづくり」という観点で、自分のアプローチに

少し自信が持てたエピソードでした。

 

   ※

 

私にできることは、細々ながら発信を続けることです。

私は、自分が子供時代に、「戦争に行かされることはない」という

安心感を持っていました。

 

戦争体験というものは、過去の、

残念ながらその時代に生まれてしまった人の出来事であって、

日本人でいる限り、未来永劫ないものだと思っていました。

 

今の子供たちにも、それだけは約束してあげたいのです。

 

そして、それは可能なのです。

 

これからも、自分の信じることを発信し続けたいと思います。