TKMA’s diary

手遅れになる前に、世の中を変えないといけない、とずっと考えている40代半ばの2児の父です。こちらのブログには、自身のフェイスブックに書いた文章を保存・閲覧することを目的にしています。

未来は僕等の手の中

年が明けましたね。

新年、明けましておめでとうございます。

 

年が新しくなるとき、何か希望のようなものを感じますよね。

これは、おそらく、まだ新しい2018年という年に何も起きておらず、

まだ何色にも染まっていないからです。

 

そして、これから自分の好きな色に

染めることができるように感じるからです。

 

産まれたての赤ちゃんが、みなに希望を感じさせるのも、

その子の人生が、まだ何色にも染まっておらず、

これから努力次第で何にでもなれる、なんでも達成できると

思わせられるからです。

 

でも、日、一日と時間が積み重ねられていくと、

そこに期待したのとはちがう現実が積み重ねられ、

後からその年を総括するに、「キツイ年だった」とか

そういう1年になる可能性がある。

 

産まれたばかりの赤ん坊が、

将来、殺人犯になってしまう可能性もあるように。

 

さて、新年早々、暗い話をしたいわけではないのです。

新しい1年を本当に素晴らしい一年にするために、

是非とも視点を変えて欲しいと思っているのです。

 

それは、2018年の年末のことを、ちょっと想像してみることです。

そうしたらあなたは、この1年を振り返ったとき、

どんな1年だった、と振り返りたいですか?ということ。

 

あなたはそのとき、どんな気持ちでいたいですか?ということ。

そのことをありありと想像してみて欲しいのです。

言ってみれば、2018年の完成形を想像するのです。

 

そこから逆算すれば、

いま、あなたがやらなければならないこと、

今日、あなたが向き合うべきこと、

というのは自動的に導き出されてきます。

 

1年なんて、あっという間ですよね。

今は寒いけど、あっという間に暑い日々がやってきて、

そのあと、今みたいに寒い冬がまた来ます。

 

その近い未来に、あなたはどうなっていたいのか。

考えて見てはどうでしょうか。

 

もしあなたが2018年を、「良い年だった」と振り返りたいなら、

あなたの思うように、良い年にすればいいのです。

 

あなたの手で。

 

あなたの未来の選択権を持っているのは、

他ならぬ、あなたなのですから。

 

 

さて、世の中には「一見、無理」と思えることがあります。

 

ではなぜ、無理だと思ってしまうのでしょうか。

無理だと、思い込んでいるのでしょうか。

 

実は、「無理だ」と思うことが、

「無理であること」を実現してしまういちばんの推進力です。

 

なぜなら、あなたの未来の選択権を持っているのは、あなただからです。

あなたが無理だ、と決めているから、無理になるのです。

あなたが「できない」と決めつけているから、実現できないのです。

 

「あなたは、あなたの未来の選択権を持っている。」

同じ意味ですが、もっと切実な言い方をすると、こうだと思います。

 

あなたは、あなたの未来へ向かう飛行機のパイロットで、

今、まさに、その操縦桿を握っているのです。

 

あなたが強い意志をもって操縦すれば、

どんな形であれ、

あなたという飛行機は目的地に着陸することができるでしょう。

 

けれど、あなたが「操縦するのは嫌だ」とか

「面倒臭い」とか、「誰かにやって欲しい」などと思ったら、

まっすぐに飛行機は飛んでいることさえできないのです。

 

なにぶん、飛行機なので、何もしないと墜落してしまうのです。

そのことに気づいた人だけが、自分の人生という飛行機を

自分の意志で操縦できるんですよね。

 

他の人に操縦を任せてしまうと、墜落しない代わりに、

とんでもない場所に連れて行かれてしまいますから、

やっぱり、あなたという飛行機は、あなたが操縦しなくちゃならないのです。

 

 

ちょっとネガティブな言い方をしてしまいましたが、

これは実はとってもポジティブなことなのです。

 

だって、

産まれたての赤ちゃんが、将来、何にでもなれるのと同じように、

あなたの2018年が、現時点では良い年になる可能性があるのと同じように、

 

すべての運命と呼ばれるものは、実はあなたの意志次第で

どうにでもなるものだ、ということだからです。

 

でも、他人任せにしていたら、あなたの2018年は、

良いとは言えない年になってしまう、ということでもある。

そういうことです。

 

では、「人生」とか「未来」というものを、

どうやったら悔いのない、

素晴らしいものにできるのか、という

一つのヒントを紹介します。

 

「人生」とか、「未来」っていうと、

なんだかとっても大きなものに感じますよね。

でも、どんなに大きなものも、

例えば宇宙ロケットのような巨大なものでさえ、

分解していくと、ひとつひとつの小さなパーツからできています。

 

人生や、未来を構成するパーツは、いったいなんでしょうか?

 

それは、「1日」です。

人生とは「1日」が寄り集まった集合体です。

未来も同じです。

 

ですから、人生や未来を良くしたいと考えるなら、

自分の今日1日を良くすればいいのです。

 

1日は24時間ですよね。

 

その1時間1時間を大切にすごせばいい。

 

1時間は60分ですから、

その1分1分を幸せなものにすればいい。

 

1分は60秒。

その1秒1秒を、無駄にしないようにすればいい。

 

1日は60×60×24で82,800秒です。

あなたの人生は、いつかくる終わりの日に向かって

この1秒1秒を減らしながら、前に進んでいるのです。

 

けっして戻ってこない、1秒1秒です。

 

その1秒1秒を、どう生きるか。

その1秒1秒を、どう良くできるか。

その積み重ねをやっていけばいいだけなのです。

 

1秒を、悪い1秒にするか、普通の1秒にするか、

それとも、良い1秒にするか。

 

人生という完成形ではなく、いま、この瞬間も過ぎ去っていく

1秒1秒を、中身のある、良いものにしていく。

 

その積み重ねが、あなたの人生だ、ということです。

 

 

さて、では「良い1秒」ってどんな1秒でしょうかね。

 

その問いには、絶対的な答えはないでしょう。

 

でもひとつ言えるのは、

「1秒」だからと言って、物事を短期的に考えるべき、

ということではない。むしろ、その逆なのです。

 

「今できるベストを尽くすこと。」

そういうイメージを持つことで、

例えば人生が半ばまで過ぎてしまっていたとしても、

まだまだ赤ちゃんのように人生を変えることはできる、

ということを言いたいのです。

 

となると、「良い」とはどういうことなのか、という定義が重要ですね。

 

端的に答えを言えば、幸せかどうかは、心が決めるものなので、

幸せになりたいのであれば、

「何を幸せだと感じられるか」という感受性を磨けば良いということなのです。

 

突き詰めていくと、それは「感謝」や「愛」というものに

収斂されていくと思います。

 

物理的にどんなに恵まれていても、

人間は「心のゴール」にはたどり着けません。

ただ、「もっと欲しい」という感情を煽られるだけのことです。

名声も、同じことです。

 

幸せは、他人がくれるものでもありません。

 

幸せというのは、あなたの心の中に実はいつもずっと存在していて、

その存在に気づくことができるかどうか、

というようなものなのだと思います。

 

自分を取り巻く物事の中で、

本質的に必要なものが見極められていけば、

自ずと見えてくるものなのだろうと思います。

 

 

自分の運命の選択権は、自分にある。

あなたの未来の選択権は、あなた自身にある。

 

そういう「事実」に、いかに多くの人が気づくことができるか、

ということが、社会を変える力にもつながっています。

 

そんな話を最後にしましょう。

 

あなたは、人生という飛行機の操縦桿を握っています。

ちゃんと操縦しないと、墜落してしまいますが、

多くの人は、(いや、多くの日本人は、と言いましょうか)

自分の人生の操縦桿を、いま、この瞬間も握っているのだ、

という事実そのものを知らないのです。

 

多くの人は、自分が座っている座席を客席だと勘違いして、

誰かがどこかへ連れて言ってくれると思い込んでいます。

これは、結構大きな問題です。

 

なぜなら、そういう人は、自分が乗っている飛行機が

ジャンボ機のような大きなものだと思っているので、

大勢で客席に乗っているという錯覚を起こして、

みんなで一緒に墜落してしまうのです。

 

その場合、自分だけでなく、

気づいて自分で操縦しようとしていた人まで

みんなを巻き込んで墜落してしまう。

 

墜落しはじめたとき、その人たちは、

どこかにある操縦席に座ったパイロットの手に

自分の命運が委ねられていると勘違いしてしまう。

 

その人に「なんとかしてくれ」と願ってしまう。

 

けれど、そもそもあなた自身がパイロットなのだから、

すべては幻想に過ぎず、

その状況を変えらえるのは、あなた自身なのです。

 

でも、それができるのです。

自分の力に気づくことができれば。

 

例えば、テレビというメディアがあります。

マスコミですね。

マスコミのことをコントロールできると思っている市民はいないでしょう?

 

でも、できるんですよ。本当は。

なぜなら、マスコミを操縦しているのは、実は情報の受け手である

我々だからです。

 

やり方はとても簡単です。

例えばテレビであれば、見なければ良いだけです。

 

それで「視聴率0%」を達成すればいいのです。

ただそれだけで、マスコミの構造を根底から覆すことができます。

 

銀行にみんなで押し寄せて預金を全部下ろせば、

経済システムの構造も、根底から覆すことができる。

 

実は、主導権は我々の手にあるのです。

そのことに気づくかどうかだけのこと。

 

そんなことができるわけない、と思うでしょうか?

 

人類の歴史は、数百年単位でシステムが変わってきています。

かつては世の中の中心的なシステムだった王制が、

民主主義に変わったのは、なぜだと思いますか?

 

市民が気づいて立ち上がったからです。

一夜にしてこの社会を変えることさえ、我々にはできる。

本気でそう望めば。

 

我々に「無理」とか「できない」ということはないのです。

できないとすれば、「無理だ」と思ってしまうことが、

その原因だということです。

 

まずは、選択権は我々の側にあるのだ、

ということを、もういちど意識してみることが、第一歩です。

 

常識というメガネが外れると、

世の中は一気にちがった景色に見えてきますよ。