企業の不正は、なぜ頻発するのか。
ここのところ、歯科に通って、治療をしていました。
奥歯の虫歯がだいぶ酷いことになっていて、
神経を抜かなくちゃならなくて、かなり大変でした。
歯というのは、中心にある象牙質という比較的柔らかい部分を、
エナメル質という硬い壁が覆っているような構造になっています。
私の歯はエナメル質がかなり硬いので、
虫歯菌になかなか突破されないのですが、
突破されてしまうと、外側からはあまりわからない間に
中側を食い荒らされてしまうので、
気づいた時には酷いことになっている、というケースになりやすいそうです。
今回もそうでした。
外から見ると、歯はしっかりしているのですが、
その中側がボロボロになっていて、
それが神経に到達してしまったのです。
外見上は歯の体をなしていましたが、
実際には中身はボロボロだったということです。
※
ところで、最近、企業の不正が目立っていますよね。
しかも、日本を支えてきた基幹産業にそれが目立っています。
多くのケースで、それは「改ざん」であったり、「隠蔽」であったり。
つまり「ウソ」ですよね。
このことって、皆さん、どう感じているでしょうか?
私は正直言って、相当ヤバイと思っています。
でもそれは、不正をする企業なんてけしからん、
という意味ではないのです。
いや、不正をしてもいい、とは決して思わないのですが。
・・・そもそも、好きで不正を働く企業はありませんから、
どうして企業が不正を働かざるを得なくなっているのか、
という仕組みについて、ヤバイと思うのです。
※
国際社会における、
日本人のアイデンティティって、なんでしょうか。
日本企業のアイデンティティって、なんでしょうか。
私は端的に、それは「誠実さ」だと思うのです。
日本の企業が、外国の企業と、どこかちがう部分があるとしたら、
それは技術力でも生産性でもなく、「誠実さ」だと思うんですね。
なぜなら、世界に誇る技術力も、生産性も、
すべては日本人の「仕事に対する誠実な心のあり方」が
生み出したものだと思うからです。
その、日本人を日本人たらしめているもの、
日本企業を日本企業たらしてめている価値が、
いま、音を立てて崩れ去ろうとしているわけです。
いや、実際にはもう中身は崩れ去っていて、
外側の張りぼてだけが残っていて、一見、崩れ去っている現実が
見えないようになっているだけなのかもしれません。
私の奥歯の虫歯のように・・・
※
私が、この企業の不正が、ヤバイと思う切実な理由は、
それが、日本社会の「不寛容さ」が顕在化したものだと思うからです。
不寛容社会、というやつですね。
不寛容社会というのは、「寛容ではない社会」ということですから、
簡単に言えば、人に優しくしない社会、
人のミスを許さない社会、ということです。
他人に完璧を求めて、執拗に責任を迫る社会です。
世の中から、白でも黒でもない、灰色の部分を排除して、
「あそび」の部分を一切認めない社会です。
ここでいう「あそび」ってのは、おもちゃで遊ぶことではなくて、
車のハンドルなんかで、少し回してもまだ動き始めない、
「余裕」の部分のことですね。
今の日本は、人間が「適当」であることを許してくれません。
もちろん、きっちりしてる、というのは素敵なことです。
けれど、完全に完璧な人間はいませんし、
ましてや、自分自身に完璧を求めるならまだしも、
他人に完璧を求めてしまうわけですから、
世の中はどんどんギスギスしていきますね。
その社会では、何かの拍子に、
いま、隣にいる人が自分の敵になって、
自分を責め立ててくるかもしれないのです。
そんな社会に、今の日本はなっていると思うんですね。
そのことと、企業の不正がどう関係あるのか?
こんなメカニズムです。
※
いま、企業は株主のものです。
株主は企業に業績を求めます。
業績を約束させます。進歩を約束させます。
そのことが、株価に反映されますから、
どんなことを約束できるのか、ということが、
企業の価値である、という仕組みがあるわけですね。
少なくとも株式市場に上場している株式会社は、
そういう価値観の世界に存在しているのです。
そうすると、企業は株主に「いい顔」をしなくてはならなくなります。
できない目標を「できる」と言わなければならなくなります。
達成できないことを、「達成できる」と言わなければならなくなります。
理由はただひとつ。
「無理です」「できません」という言葉を、
株主は決して受け付けないからです。
株主は、企業に対して不寛容なのです。
けれど、皆さん、どうでしょうか。
生身の人間としての、ご自分を見つめ直して見てください。
あなたは、未来をひとつでも約束できますか?
未来というのは、未だ来ていないから未来というのであって、
まだ来ていないことを、
確実に「こうなる」と約束できる人は、
この世に一人もいないのです。
けれど、みんな平気でそんなことを要求しています。
自分にできない約束を、他人に要求しているのです。
ビジネス用語ではKPIなんて言いますが、
まぁ、とにかく「成果を約束させる」わけですね。
そして、その約束が守られなかったなら、
大変なお仕置きがまっているわけです。
でも忘れちゃいけません。
みんなただの人間なのです。
神さまではない。
だから、究極的に言えば、KPIなんてものは全部ウソでしかない。
天気予報が絶対に当たるわけではないのと同じです。
KPIなんて所詮ウソだよね~、とか思いながら
うわべだけそうしているならわかるのだけど、
実際に現場ではそれを達成するために
めちゃくちゃな努力をさせられるわけですよ。
それでも、達成できないことってあるじゃないですか。
人間なのですから。
けれど、許さないんですよね、人が完璧でないことを。
みんな天気予報が外れると、ものすごく怒りますよね。
でも天気を言い当てられる人なんて、本当は一人もいないんですよ。
その事実がどこかに吹き飛んでしまうから、怒ってしまうのだし、
怒るから、嘘が必要になってしまうんですよ。
天気なら、「晴れと言ったのに雨が降った」という事実は隠せませんが、
例えば金属の強度が約束通りかどうか、
自動車の燃費が約束通りかどうか、
そんなことは、外部の人間にはまったくわからない。
だから、ときどき調べてみると、ボロが出てしまうわけですよね。
じゃぁ、不正を働いていた人間が、極悪人なのか?というと、
まったくそうではない。
あなたと同じ、普通の人なのです。
そういう人が、いろんな事情を背負った時に、
社会を円滑に動かすために、本当のことを隠蔽する。
そういう現象が起きているのだと、私は思うのです。
※
これらはすべて、本来なら約束不能な未来を
約束させて責任を押し付け、失敗を許さないという、
不寛容な社会システムが生み出した弊害だと思っています。
そして、こういう隙間やあそびのないギスギスとした社会が
人間の息を詰まらせていることが、
いろんなところで爆発しているんじゃないかと感じています。
不寛容な社会を変えるのは、実は自分ですよね。
まずは自分が他者を許すこと。
その小さな努力をみんながやれば、
変化はあっという間に広がるはずです。
アンチ不寛容社会。
とっても大切なことだと思っています。