TKMA’s diary

手遅れになる前に、世の中を変えないといけない、とずっと考えている40代半ばの2児の父です。こちらのブログには、自身のフェイスブックに書いた文章を保存・閲覧することを目的にしています。

企業の不正は、なぜ頻発するのか。

ここのところ、歯科に通って、治療をしていました。

奥歯の虫歯がだいぶ酷いことになっていて、

神経を抜かなくちゃならなくて、かなり大変でした。

 

歯というのは、中心にある象牙質という比較的柔らかい部分を、

エナメル質という硬い壁が覆っているような構造になっています。

 

私の歯はエナメル質がかなり硬いので、

虫歯菌になかなか突破されないのですが、

突破されてしまうと、外側からはあまりわからない間に

中側を食い荒らされてしまうので、

気づいた時には酷いことになっている、というケースになりやすいそうです。

 

今回もそうでした。

外から見ると、歯はしっかりしているのですが、

その中側がボロボロになっていて、

それが神経に到達してしまったのです。

 

外見上は歯の体をなしていましたが、

実際には中身はボロボロだったということです。

 

 

ところで、最近、企業の不正が目立っていますよね。

しかも、日本を支えてきた基幹産業にそれが目立っています。

 

多くのケースで、それは「改ざん」であったり、「隠蔽」であったり。

つまり「ウソ」ですよね。

 

このことって、皆さん、どう感じているでしょうか?

 

私は正直言って、相当ヤバイと思っています。

でもそれは、不正をする企業なんてけしからん、

という意味ではないのです。

 

いや、不正をしてもいい、とは決して思わないのですが。

 

・・・そもそも、好きで不正を働く企業はありませんから、

どうして企業が不正を働かざるを得なくなっているのか、

という仕組みについて、ヤバイと思うのです。

 

 

国際社会における、

日本人のアイデンティティって、なんでしょうか。

日本企業のアイデンティティって、なんでしょうか。

 

私は端的に、それは「誠実さ」だと思うのです。

 

日本の企業が、外国の企業と、どこかちがう部分があるとしたら、

それは技術力でも生産性でもなく、「誠実さ」だと思うんですね。

なぜなら、世界に誇る技術力も、生産性も、

すべては日本人の「仕事に対する誠実な心のあり方」が

生み出したものだと思うからです。

 

その、日本人を日本人たらしめているもの、

日本企業を日本企業たらしてめている価値が、

いま、音を立てて崩れ去ろうとしているわけです。

 

いや、実際にはもう中身は崩れ去っていて、

外側の張りぼてだけが残っていて、一見、崩れ去っている現実が

見えないようになっているだけなのかもしれません。

 

私の奥歯の虫歯のように・・・

 

 

私が、この企業の不正が、ヤバイと思う切実な理由は、

それが、日本社会の「不寛容さ」が顕在化したものだと思うからです。

 

不寛容社会、というやつですね。

 

不寛容社会というのは、「寛容ではない社会」ということですから、

簡単に言えば、人に優しくしない社会、

人のミスを許さない社会、ということです。

 

他人に完璧を求めて、執拗に責任を迫る社会です。

世の中から、白でも黒でもない、灰色の部分を排除して、

「あそび」の部分を一切認めない社会です。

 

ここでいう「あそび」ってのは、おもちゃで遊ぶことではなくて、

車のハンドルなんかで、少し回してもまだ動き始めない、

「余裕」の部分のことですね。

 

今の日本は、人間が「適当」であることを許してくれません。

 

もちろん、きっちりしてる、というのは素敵なことです。

けれど、完全に完璧な人間はいませんし、

ましてや、自分自身に完璧を求めるならまだしも、

他人に完璧を求めてしまうわけですから、

世の中はどんどんギスギスしていきますね。

 

その社会では、何かの拍子に、

いま、隣にいる人が自分の敵になって、

自分を責め立ててくるかもしれないのです。

 

そんな社会に、今の日本はなっていると思うんですね。

 

そのことと、企業の不正がどう関係あるのか?

こんなメカニズムです。

 

 

いま、企業は株主のものです。

 

株主は企業に業績を求めます。

業績を約束させます。進歩を約束させます。

 

そのことが、株価に反映されますから、

どんなことを約束できるのか、ということが、

企業の価値である、という仕組みがあるわけですね。

 

少なくとも株式市場に上場している株式会社は、

そういう価値観の世界に存在しているのです。

 

そうすると、企業は株主に「いい顔」をしなくてはならなくなります。

できない目標を「できる」と言わなければならなくなります。

達成できないことを、「達成できる」と言わなければならなくなります。

 

理由はただひとつ。

 

「無理です」「できません」という言葉を、

株主は決して受け付けないからです。

 

株主は、企業に対して不寛容なのです。

 

けれど、皆さん、どうでしょうか。

生身の人間としての、ご自分を見つめ直して見てください。

 

あなたは、未来をひとつでも約束できますか?

未来というのは、未だ来ていないから未来というのであって、

まだ来ていないことを、

確実に「こうなる」と約束できる人は、

この世に一人もいないのです。

 

けれど、みんな平気でそんなことを要求しています。

自分にできない約束を、他人に要求しているのです。

ビジネス用語ではKPIなんて言いますが、

まぁ、とにかく「成果を約束させる」わけですね。

 

そして、その約束が守られなかったなら、

大変なお仕置きがまっているわけです。

 

でも忘れちゃいけません。

みんなただの人間なのです。

神さまではない。

だから、究極的に言えば、KPIなんてものは全部ウソでしかない。

天気予報が絶対に当たるわけではないのと同じです。

 

KPIなんて所詮ウソだよね~、とか思いながら

うわべだけそうしているならわかるのだけど、

実際に現場ではそれを達成するために

めちゃくちゃな努力をさせられるわけですよ。

 

それでも、達成できないことってあるじゃないですか。

人間なのですから。

 

けれど、許さないんですよね、人が完璧でないことを。

みんな天気予報が外れると、ものすごく怒りますよね。

 

でも天気を言い当てられる人なんて、本当は一人もいないんですよ。

その事実がどこかに吹き飛んでしまうから、怒ってしまうのだし、

怒るから、嘘が必要になってしまうんですよ。

 

天気なら、「晴れと言ったのに雨が降った」という事実は隠せませんが、

例えば金属の強度が約束通りかどうか、

自動車の燃費が約束通りかどうか、

そんなことは、外部の人間にはまったくわからない。

 

だから、ときどき調べてみると、ボロが出てしまうわけですよね。

 

じゃぁ、不正を働いていた人間が、極悪人なのか?というと、

まったくそうではない。

あなたと同じ、普通の人なのです。

 

そういう人が、いろんな事情を背負った時に、

社会を円滑に動かすために、本当のことを隠蔽する。

そういう現象が起きているのだと、私は思うのです。

 

 

これらはすべて、本来なら約束不能な未来を

約束させて責任を押し付け、失敗を許さないという、

不寛容な社会システムが生み出した弊害だと思っています。

 

そして、こういう隙間やあそびのないギスギスとした社会が

人間の息を詰まらせていることが、

いろんなところで爆発しているんじゃないかと感じています。

 

不寛容な社会を変えるのは、実は自分ですよね。

まずは自分が他者を許すこと。

その小さな努力をみんながやれば、

変化はあっという間に広がるはずです。

 

アンチ不寛容社会。

 

とっても大切なことだと思っています。