景気が良くなっても、私には金がない理由。
さて。
経済の話をしてみようと思います。
「経済」と聞くと、あなたはどんなイメージを持つでしょうか。
なんか、専門的で小難しい感じですよね?
良かった。
それなら、私と一緒です。
そんな私が、ある日、「なんか変だな」と思って、
ちょっと調べてみたのです。
そしたら、簡単な理屈がわかったのです。
それを話しますね。
※
なにを「変だな」と思ったのかというと、
ニュースでは、今はとても景気が良くて、
なんと、あのバブルの頃より景気がいいそうなのです。
私はバブル崩壊の翌年に社会人になったのですが、
それでもまだあの頃は余韻が残っていて、
夜の六本木ではタクシーは捕まりませんでした。
近場の客は乗せてくれないのです。
万単位の金を払う、遠方までの客しか相手にしてくれなかった。
それだけ「金があった時代」、いや「皆が金を持っていた時代」
それがバブルなのです。
※
さて、いま、その頃よりも景気がいいそうなのです。
しかし六本木でタクシーを拾って、
ものすごく近い場所までと言っても、
運転手さんは嫌な顔ひとつせず行ってくれます。
なぜでしょう?
みな、金がないからです。
みな、金を持ってないからです。
世の中は景気がいい、と言ってるのに、
我々みたいに、働いて給料を貰っている
普通の人々は、金を持っていないじゃないか。
そこに、「なんか変だな」と感じたのです。
※
カラクリは、めっちゃくちゃ簡単なことでした。
一言で言うと、「景気がいい」とするモノサシが変わった。
ただそれだけのことだったのです。
でも、それ、どういうこと?って思いますよね?
私も思いました。
なので、出来るだけ簡単に説明しますね。
※
実は「経済」には二種類あるそうなんです。
ひとつが「実体経済」、もうひとつが「金融経済」といいます。
で、昔は実体経済で、今は金融経済の時代なのです。
それが変わったので、
今は景気がいいのに、労働者に金がないってことらしい。
では、この二つの経済のちがいを、説明します。
まず「実体経済」。これは簡単です。
我々、労働者がイメージしている経済ですから。
実体経済では、景気が良くなると給料が増えます。
ですから、我々自身が「景気がいい」ということが実感できるし、
その効果が生活の中に如実に現れます。
一般庶民の消費が好調になって、お金がグルグル回りますから、
非常に健康的な経済状況になります。
これが「実体経済」。
言うなれば、手で触れる経済。
あるいは、アナログな経済とでも言いましょうかね。
それに対して、「金融経済」とは何か。
これは言うなればバーチャル経済、もしくはデジタル経済みたいなもので、
金融商品の取引だけが、その中身になります。
経済活動はすべてパソコンの箱の中で起きます。
それこそ、普通には考えられないような巨額な金が、
デジタルデータとして右に行ったり、左に行ったりしながら、
株とか有価証券というものの取引がなされる経済です。
景気の良さは「株価」で測られます。
株価というのは、株の取引をしている人々の間での、
商品としての企業の値段です。
株主にとってのいい会社というのは、
稼いだ金をできるだけ株主に回してくれる会社ですから、
当然、企業は社員に支払う金は少なくするように努力します。
現代における優秀な経営者は株主から褒められる経営者であり、
それはつまり、できるだけ安く社員を働かせる経営者だ、
ということなのです。
こうなると、いかに世の中の景気が良くなったところで、
我々庶民は蚊帳の外なのです。
株価が上がったって、給料は貰えないんですからね。
これのいちばんの問題は、労働者はシステム的に蚊帳の外なのであって、
つまり、永遠に恩恵を受けることがない、ということなのですね。
しかし、例えば安倍政府などは、株主が儲かれば、
その恩恵が「そのうち」労働者にも落ちてくる
(トリクルダウンといいます)などと言っています。
こんなことは、株主がボランティア精神でも持たない限り
絶対に有り得ないことなのです。
※
簡単に言えば、
実体経済は生活者のための経済で、
金融経済は株主のための経済だ、ということですね。
実体経済の時代、会社というものは
社員とその家族ためのものだ、と言われましたが、
金融経済の時代である今、
会社は株主の金儲けの道具になってしまったのです。
だから、景気が良いとニュースで言われても、
我々は金がないままなのです。
ここまでわかったしでしょうか?
※
大切なことをまとめると、
経済には実体経済と金融経済がある、ということ。
今は金融経済の時代であり、
金融経済の世界では、いくら景気が良くなっても、
労働者にはまったく還元されることはない、ということ。
それだけわかっていれば、いいのだと思います。
ということは、「景気を良くする」とか
「景気対策をがんばる」なんて言っている政治家も経済学者も、
実は生活者を煙に巻いているだけなんですね。
本気なのであれば、
「経済のシステムを変える」と言うべきなのです。
それを言い出したら、ホンモノですね。
結局、政治家も経済学者も、金持ちの側に有利な状況を作って
彼らに与することで、自分だけはなんとか
生ていこうと思ってるだけなんですね。
悲しい現実です。
では、我々、生活者は、どうすればいいのでしょう。
※
時系列でみると、実は実体経済の時代は
1970年代に既に終わりに近づいていて、
今は金融経済でさえ、限界が来ていると言われています。
そもそも実体経済がなぜ金融経済に移行したか、というと、
資本主義というシステムに於いては、
実際の世の中ではもうこれ以上儲けられないほど、
富が飽和したからなんです。
それでも成長を続けられないといけないのが資本主義ですから、
新しい市場として、「株式市場」というバーチャル空間を
主戦場とすることになったのですね。
しかし、この株の取引でさえ市場を掘り尽くしてしまい、
今ではデジタル技術の力をかりて、1秒間に数百回、数千回という、
あり得ない回数の取り引きをすることで、なんとか市場を回しています。
すでに人間の力では限界が来たので、機械のチカラを使って
1日という限られた時間の中でできる取引の回数を増やしているのです。
でも、それももう限界なのだそうです。
これが何を意味していると、あなたは捉えるでしょうか?
※
私はこう捉えています。
「これは資本主義そのものの限界である」と。
人類の歴史上、資本主義の前の時代がありました。
王制の時代です。
王制の頃には、きっと王制というシステムが
永遠に続くと思っていたことでしょう。
しかし、それは資本主義に取って代わられました。
同じように、今は永遠に思える資本主義の時代も、
必ず終わりが来るのです。
資本主義が終わるということは、
その対立軸である共産主義になるのか?というと、そうではありません。
資本主義でも、共産主義でもない、
新しい考え方や仕組みが、このあと考え出されるのです。
それが人類の歴史であり、必然なのです。
前にも書きましたが、資本主義は環境破壊と
ワンセットになったシステムですから、次の仕組みへの移行は、
実は一日も早く取り掛からなければならない、人類の課題なのですよね。
自分の明日のことだけでなく、
子孫の明日を考えること。
これこそ、人類の叡智が試されるテーマなのだと思います。
今ある経済ではなく、その先の世界へ。
思考を具体的に進めて生きたいものです。